津田沼教会 牧師のメッセージ
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「屈しない信仰」(マルコ7:24~30)
マルコ7:24-30、2006・09・10、聖霊降臨後第14主日礼拝(緑)
イザヤ書35:1-3、ヤコブの手紙1:2-18

マルコによる福音書7:24~30
 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシャ人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供のパンを取って、子犬にやってはいけない。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の子犬も、子供のパン屑はいただきます。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。



説教「屈しない信仰」(マルコ7:24~30)

 本日の福音の記事は、先週のユダヤ人たちの律法主義に対する主イエスの反論に続く記事であります。マタイにも15章に並行記事がありますが、ここでも、マルコの記事のほうがオリジナルであり、古いものであろうということが、比較してみると、推測できます。ここでは、マルコの記事を中心にしながら、しばらくご一緒に考えてみたいと思います。
 主イエスは、そこから、立って、ティルスの地方へと出て行かれます。ガリラヤのゲネサレの地から、なかば異邦人の地であるフェニキアの地方まで行かれるのであります。弟子たちがついて行ったということは文章上は書かれていません。ひょっとしたら、主イエスご自身だけで行ったのかも知れません。
なぜ、そんな遠くまで行かれたのでしょうか。それは、主イエスの宣教の範囲と言いましょうか、ご自分の目指すべき視野がどこまでなのかを考えに、遠く異邦人の地にまで行ったのでありましょう。
そして、主はある家に入り、だれにも気づかれないでいたいと思いましたが、知られずにいることはできなかったのであります。それほどに、主の名声とうわさは広がっていたのであります。そして、直ちに、ある女の人の知るところとなり、彼女はやって来て、主の前に屈みこみ、わが子のために、要求するのであります。すなわち、この女性は、ギリシャ人で、あるいは、それはギリシャ文化の中で育った異邦人というほどの意味であるかもしれません。彼女は、汚れた霊につかれた幼い娘を持っていました。彼女はその子から悪霊を追い出してほしいと嘆願するのであります。
主イエスは言われます。「まず、十分に子供たちに食べさせねばならない。そのパンを取って子犬たちに投げてやるのはよろしくない」と。ここで、子供たちとは、神の選民と自負していたイスラエルの民のことであり、子犬たちとはそれ以外の外国人、異邦人を指しています。ところが、この女性は言うのであります。「主よ、―あるいは、ご主人―、そして、子犬たちは、子供たちからのパンくずは食べています」と。
主イエスは、お答えになります。「その言葉のゆえに、出て行きなさい。悪霊はあなたの娘から出てしまった。」そして、彼女は戻って見ると、その娘は床の上に横になっており、悪霊が去っているのを確認するのであります。この記事を読んだマルコの教会の人々は、異邦人が多かったことでしょう。そして、この女性の中に自分たち異邦人の救いの喜びを垣間見、彼女と自分たちを重ねてみたことでしょう。
そしてそのことは、2000年近くを隔てた私たち、日本人の信者も同じであります。主イエスは生前のこの時期において、ご自分の宣教の範囲を見定めようと、祈りのうちに、考えをめぐらしていたことでしょう。そして、まずは、ユダヤ人たちにその宣教の範囲を限らなければならないとお感じになっていたでしょう。
しかし、本日の女性のように、なんら自分の功績を誇ったり、ユダヤ人の救いがまず求められねばならないことを素直に認めつつ、そこからのおこぼれであるパンくずは、必死になって求める、その謙虚な姿勢の中に、主はゆくゆくはそうなる救いの、全人類への広がりを、しっかりと受け止められ、救いの中へと受け入れてくださったのであります。
 私たちも、この女性のように、主から無代価で与えられている、主ご自身の十字架とご復活によって、救われているものであることを、今一度確かめ、感謝の応答をしていきたいものであります。そしてこのような屈することのない信仰を、この女性とともに日々の生活の中で示していきたいものです。アーメン。
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2006/09/14(木) 16:19:02| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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