津田沼教会 牧師のメッセージ
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「人間の伝統か、神の命令か」(マルコ7:1~15)
マルコ7:1-15、2006・09・03、聖霊降臨後第13主日礼拝―緑―聖餐式
申命記4:1-8、エフェソの信徒への手紙6:10-20

マルコによる福音書7:1-15
  ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。―ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。― そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。
 『この民は口先ではわたしを敬うが、
  その心はわたしから遠く離れている。
  人間の戒めを教えとしておしえ、
  むなしくわたしをあがめている。』
 あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたがたは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」
 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」


説教「人間の伝統か、神の命令か」(マルコ7:1~15)
 本日のマルコ7:1-15は、7:1-8と、7:8-13と7:14-15に分けることができます。そして、共通して言えるのは、汚れの問題を扱っているということです。
 本日の福音の記事に沿って、しばらくご一緒に考えてみましょう。
まず、ファリサイ派とエルサレムからの律法学者たちのある者たちが、主イエスのもとに集まります。そして、イエスの弟子たちのある者たちが、すなわち清くない手で、手を洗わないで食事をしているのを見ます。当時のファリサイ派やすべてのユダヤ人たちは、身を清めてからでないと、食事をせず、他にも、市場から戻ってきたときには、水を振り掛けるとか、杯や鉢や銅の器や、寝台も水で洗うといった多くの似たようなことどもを守っていました。これは、敬虔なユダヤ人たちが、マルコがこの記事を書いたころの状態だったと考えられます。
 手を入念に洗うというのは、こぶしでこすって、水で洗ったのか、手首のほうまで洗ったのか、その実態はよくわかりませんが、「あなたの弟子たちはそのような古くからの言い伝え、長老からの伝統によって歩まず、洗わない手で、パンを食べるのはなぜなのか」と彼らは質問したのです。主イエスは、イザヤ書の言葉を取り出して、語られます。ヘブライ語のイザヤ書29:13には「この民は、口でわたしに近づき、唇でわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても、それは人間の戒めを覚え込んだからだ」と記されています。
 外側だけの敬虔さ、儀式的・祭儀的な表面だけの清さに過ぎないと、主は、ファリサイ派や律法学者を鋭く、激しく、非難されるのであります。あの慈愛に満ちた方が、「災いなるかな、律法学者やファリサイ派の者たち、あなたたちは偽善者だ」と真っ向から批判し対立なさるのです。それが、直接の十字架につけられる引き金ともなったのです。
 第二の部分は、同じく、「あなたがたは人間の言い伝え、伝統を固くたて、神の命令、神の掟を捨ててしまった」と繰り返して始まります。モーセは、「あなたの父と母を敬え、あなたの父と母を悪く言う者は死につけられる」と言ったのに、あなたがたは、「だれでも私の持っているものは、コルバン、すなわち、神へのささげものです」といえば、その人は父、母にとっての助けになるものでも、与えなくてよくなると言って、神の掟を無効にしていると、当時の神の掟、命令から離れた人間の戒めを作り出していることを、厳しく批判なさいました。
 そして、第三の部分で、群衆を呼び寄せて言われます。「あなたがたは皆、洞察力を持ってよく聞きなさい」と言われ、「人間の外から入るものは、人を汚さない、かえって、人間のうちにあるものが、人間を汚すものどもになるのである」と言われました。
 ファリサイ派たちは、細かな施行細則を作って、神の命令を具体化しようとしましたが、人間の思いでそれを取り違えてしまっていたのです。私たちは、常に、主イエスと結ばれて、聖書の神に固着することが必要であります。本日は、幸いに、このあと聖餐式があります。主イエスのお言葉をもう一度思い起こしながら、十字架で私たちのために命を差し出されたお方と交わり、つながって、汚れを取り除かれ、新しい1週間を神の掟・命令に従った生き方をしたいものであります。
天の父なる神さま。私たちを、心の底から清めてください。あなたによってのみ、罪赦され、新しい1週間へと立ち上がらせてください。人間の言い伝え、伝統に縛られるのではなく、あなたの命令を聞き取り、真の自由を与えられていることを洞察していく者とならせて下さい。キリストによって、祈ります。アーメン。

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2006/09/03(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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