津田沼教会 牧師のメッセージ
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「福音の進展と神の支配の実現」(マルコ4:26~34)
マルコ4:26-34、2006・07・16
聖霊降臨後第6主日(緑)
エゼキエル書17:22-24、コリントの信徒への手紙二6:1-18

マルコによる福音書4:26~34
 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」

 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。




説教「福音の進展と神の支配の実現」(マルコ4:26~34)

本日の福音個所での説教の題を「福音の進展と神の支配の実現」というふうに、ある少し古い日本人の注解書を参考にしながら、つけさせていただきました。それは、本日の福音の個所、マルコ4:26-34の個所が、神の国の譬えと、譬えで語られる主イエスを記しているからであります。一読すると、簡単な譬え話、あるいは、それを語られる主イエスの状況を淡々と記しているに過ぎないようでありますが、本日の福音の個所が、この譬えにおいて、何を私たちに語ろうとしているのかは、なかなか捉えにくいのであります。本文の内容をもう一度、思い起こしながら、しばらくご一緒に、考えてみたいと思います。
本日の部分は、新共同訳聖書が、区分しているように、3つの部分に分けられます。まず第1の部分、4:26-29を思い起こしてみましょう。これは、不思議な種の成長とその収穫にかかわる譬えであります。「そして、主イエスは、こう語っておられた」とこの部分は始められています。このようなのが神の国であり、それは、ある人が、種を蒔くのに譬えられる、と主は言われます。ところで「神の国」というのは、「神の支配」と同じ意味であります。「天の国」も同じでありますが、いずれも、どこか遠いところにある国ということではなくて、私たち人間の普段の生活を、神さまがご支配してくださるということであります。私たちが神さま以外の、例えば、他の人たちとか、サタンとかによって支配されるのではなく、神さま御自身が私たちの生活の中に入り込み、神さまのご意志が私たちの生活に行き渡るということであります。そのようなことが、主イエスのご到来によって既に始まり、福音、よき知らせが、主イエスとともに与えられており、それが進展するということが、本日の福音個所の3つの部分を通して約束されているのであります。
まず第1の部分では、このようなのが、神の国であり、ある人が、種を蒔いたのに譬えられる、というのであります。彼はその後、夜昼と寝起きし、種は芽を出し、それは長くなるが、どのようにそうなるのか、彼は知らないと言われます。ひとりでに、土は実を結ぶのであり、それは、最初に、草・茎、次に穂、次に穂の中に、豊かな麦の粒をもたらすのであり、その実が許すとき、あるいはまかせるとき、用意ができたとき、彼は早速鎌を入れる、なぜなら、収穫が来たからであると、主は言われています。この譬えは、神の国の譬えであり、これを語っておられる主イエスのご到来において、神のご支配は始まっており、麦の種が蒔かれ、種を蒔いた人が平凡な、普段の生活を送っている間にも、確実に麦が収穫を迎えるように、私たちがどういうふうにしてかは気づかなくても、私たちの生活のすべてにおいて、神さまがみ心を示してくださるときが、主イエスとともに既に始まっているというのであります。
さて、第2に、主はまた語っておられたのであります。「神の国をどのように、私たちは譬えようか、どんな譬えにおいて私たちはそれを置こうか」と二回繰り返す疑問文でまず問いかけられます。そして、それは、からしの種のようだと言われ、それは、土の上に蒔かれるとき、地上のすべての種よりもちいさいが、蒔かれるとき、上に上っていき、すべての野菜、すなわち庭園植物・草本植物よりも大きくなり、大きな枝をはって、その陰に、空の鳥が住み着くことができるほどになる、と言われるのであります。津田沼教会の駐車場のところにも、からしの木が植えてあり、みんなが驚くほどに、木と言っていいほどに成長しているのであります。からしの種は、必ずしもすべての種の中で一番小さいものではないのでありますが、それは格言的に言われており、主御自身も、あなたがたがからしの種ほどの信仰を持っていたならば、この桑の木に海に移って植えられよと言えばその通りになるなどと言われているのであります。このからし種の譬えは、同じく、神の国についての譬えであります。神のご支配が、このからしの種に見られるように、いつのまにか大きな成長をもたらし、やがては、異邦人の国民にも行き渡ることを、主イエスはこの譬えで示されているのであります。
さて、第3の部分では、「主はそのような多くの譬えで、彼らが聞くことができているのに応じて、み言葉を、すなわち福音を語っておられた」と記され、34節では、一方で、譬えなしでは、彼らにお語りにならないでいたが、一方、密かに、彼自身の弟子たちには、すべてを解釈して教えておられた、と本日の福音個所は終わっているのであります。
私たちの理性や理解力では、わからないけれども、確かに神の国、神の支配は既に、主イエスの到来とともに始まっているのであります。私たちの思いを越えて、神さまは私たちの普段の生活において、ご支配、統治を始めておられるのであります。ですから、私たちは、絶望したり、やけになったりせずに、よき知らせ、主イエス・キリストの死と復活による救いの喜びを証しし続け、福音を進展させるように励みたいものであります。1週間の間にも、多くの試練が私たちを襲います。挫折させられそうになる困難に、私たちは毎週のようにぶつかるのであります。けれども、神さまが、私たちの日常の平凡な生活全体の中においてご意志を示してくださるのであります。主がお語りになっておられる譬えの意味を、私たちは、深く汲み取ることができるように、日々、み言葉に親しみ、み言葉、聖書の言葉とともに歩み、どのような困難をも乗り越えていきたいものであります。祈りましょう。
天の父なる神さま。
あなたは、主イエスを通して、あなたのみ心を、私たちの生活の中に示してくださっています。あなたのご意志にそって、私たちも、それに従っていけるように、聖霊の力を送ってください。そしてまた、私たちが礼拝につながり、あなたのご意志を毎週の生活において表すことができますように。主のみ名によって祈ります。アーメン。



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2006/07/16(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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