津田沼教会 牧師のメッセージ
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「イエスこそ神と民を結ぶ神殿」(ヨハネ2:13~22)
ヨハネ2:13-22、2006・03・19、四旬節第3主日
出エジプト20:1-17、ローマの信徒への手紙10:14-21

ヨハネによる福音書2:13~22

 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへと上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。


説教「イエスこそ神と民を結ぶ神殿」(ヨハネ2:13~22)
本日、私たちは、四旬節の第3主日で、3月も19日を迎え、3月1日の灰の水曜日から、4月16日(日)の復活祭を祝うまでの46日間の半分くらいを受難節として、過ごしているのであります。今は主の十字架の苦しみを思い起こしながら、つつましく、歩むべき季節であります。
 
さて、本日与えられています福音書の個所は、ヨハネ福音書の2章13から22節までであります。この宮清めの出来事とそこで取り交わされました主イエスのお言葉とユダヤ人たちの反応、そして、弟子たちの思い、また、主のご復活の後になって本日の出来事を思い出し、主イエスのお言葉と聖書すなわち旧約聖書を信じるにいたった経過が記されています。 

この個所が、四旬節・受難節のこの時期にどうして、ふさわしいのか、また、本日この個所が与えられている意味について、しばらく、ご一緒に考えてみたいと思います。 これは、がリラヤのカナの婚宴での主の初めてのなされたしるしに対して、今度はエルサレムに上って、そこで起こった大事な出来事であります。

他の3つの共観福音書では、エルサレム入城に続いて、受難週に起こった出来事として、終わりのほうに記されています。しかし、ヨハネ福音書記者は、この出来事は公活動の初めのころに起こったこととして、設定しています。 どちらが史実であったのでしょうか。それはよく分かりません。

しかし、ヨハネの記事が正しかったのかもしれません。少なくとも、ヨハネは、この最初の時期に本日の出来事を記すのが、ふさわしいことだと考えたことはたしかであります。他の福音書も、主イエスの受難と死の引き金になった重要な出来事として、すべての福音書記者は、この出来事に触れています。 

さて、主は過越祭が近づいたので、エルサレムへと上っていかれます。弟子たちも同行したことが後のほうの記事から分かります。主は、牛や羊や鳩を売る者たちや、両替人がいすに腰掛けているのを御覧になります。そして、縄で鞭を作り、羊や牛やその売主たちを追い出されます。そして、両替人の机をひっくり返し、鳩を売っている者たちに言われます。「私の父の家を、商売の家にしてはならない」と。

そのとき、弟子たちは、「あなたの家へお熱意が私を飲みつくす・滅ぼすであろう」という詩編の言葉を思い起こしていました。それほど、主イエスの神殿に対する思いは大きかったのであります。それに対して敵対者として出てくる「ユダヤ人たち」は、神殿守衛長のような者たちもいたでしょうか、応じて言います。「そんなことをするからには、どんなしるしをあなたは見せるのか」と。

主は言われます。「この神殿を倒してみよ、私は、三日においてそれを起こす・建て直すであろう」と。彼らはいいます。「これは、46年もかかって建てられたのに、あなたは三日で建てるというのか」と。主は、ご自分のからだという神殿のことを言っておられたのでした。

弟子たちは、主が起き上がらせられ・ご復活なさった後に、そのことが分かり、聖書、彼らにとってそれは旧約聖書でしたが、それと主が言われた言葉を信じるに至ったのであります。旧約聖書では、特に主イエスのこの時代には、新しい滅ぶことのない神殿が終わりの日、終末のときに、メシアによってエルサレムに再建されると信じられていました。

主イエスは、ご自分が殺され、ご復活させられて、牛や羊の犠牲によるのではない、真の神殿、ご自分のからだを通しての礼拝が行われるようになることを、ご自分の命を代価として約束されたのであります。この後、サマリアの女に言われたように、霊とまこととをもって真の礼拝が主イエスを通して行われるようになることが本日の出来事を通して示されたのであります。

そして、事実、教会が誕生し、エルサレムでも、スカルでもない場所で、世界中至るところで、主イエスを通して神と民が結ばれる礼拝が今も守られることになったのであります。そして、礼拝とは、私たちが身を清めて、生活を正してそれから集うというのではなく、神さまが、主イエスを通して、私たちに仕えてくださり、まず、神の側からサービスしてくださることを意味するものであります。そのようにして、私たちの罪が赦され、主イエスの十字架と復活を通して、贖われた後に初めて、本日の日課の旧約聖書出エジプト記にありました、十戒の教えも行うことができるようになるのであります。

祈ります。
天の父なる神様。この受難節、ご自分の命をささげて、私たちに十字架と復活を通してのまことの礼拝ができるように、主は、神殿を清められ、約束を与えてくださいました。私たちが聖書を通して、一人でも多くの方に、旧約史書で約束されていたこの世界の真の救い主、メシアは主イエスであることを伝えることができますように助けてください。キリストによって祈ります。



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2006/03/19(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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