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津田沼教会 牧師のメッセージ
「み子誕生に伴った犠牲」(マタイ2:13-23)
マタイ2:13-23、2013・12・29、降誕後主日(典礼色―白―)、イザヤ書63:7-9、ガラテヤの信徒への手紙4:4-7

マタイによる福音書2:13-23
 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
「ラマで声が聞こえた。
 激しく嘆き悲しむ声だ。
 ラケルは子供たちのことで泣き、
 慰めてもらおうともしない、
 子供たちがもういないから。」

 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。



説教「み子の誕生に伴なった犠牲」(マタイ2:13-23)

今日、降誕後主日に与えられています福音は、マタイ2:13-23です。今日は、降誕節に属しています。聖家族のエジプトへの脱出という出来事が記されています。これが、どこまで、史実性があるかは、よく分かりません。
しかし、主イエスは、生まれた時から、受難に遭っていたと、マタイは語るのであります。今日の出来事は、3つに分けられますが、こういうものでした。
父ヨセフは、ベツレヘムで、東方の占星術の学者たちの来訪を受け、彼らが立ち去った後、また、夢を見ます。そして、主のみ使いが現わされ、起きて、その子と母を連れて、エジプトへと逃げなさい。ヘロデがその子の命を狙っていると告げられるのです。ヨセフは、お告げに従い、二人を連れてエジプトへと去ったのであります。それは、私は、エジプトからわが子を呼んだという預言、出エジプトの預言が、み子を呼びもどすことにより、実現されることを示しているのであります。
 さて、ヘロデは、学者たち、マギたちが、自分を騙して、立ち去ったことを知り、大いに怒り、学者たちから聞いていた時刻に従って、ベツレヘムとその周辺の2歳以下の男の子たちを大量虐殺してしまうのであります。これによって、エレミヤの預言が実現したとマタイは記します。
 すなわち、ラマで聞かれた、泣く声、非常な嘆きが。ラケルはもはや、子供たちがいないので、慰められようとはしていなかったというのです。エレミヤ書では、その後に、希望と喜び、すなわち、イスラエルのバビロン捕囚の息子たちがまた戻って来るという慰めが語られているのですが、ここでは、その引用はなされていません。
 さて、3番目の記事は、やはり、夢で天使がヨセフに現わされて、起きて、その子と母を連れてイスラエルの地へと帰りなさい。あなたの命を狙っていた者たちは、みな、死んでしまったというもので、ヨセフはそれに従って、帰って行きました。これによって、第2のモーセ、主イエスによって出エジプトの出来事が成就されたということを、福音書記者マタイは、強調しているのであります。
 ただ、このユダヤでは、ヘロデ王の息子、苛酷なアルケラオが王として支配していたので、ヨセフはそこに入ることを恐れました。で、また、夢でお告げがあったので、ガリラヤへとナザレという町へ退いて、聖家族はそこに定住した。それによって、預言者たちによって言われていたこと、すなわち、彼はナザレ人と呼ばれるという預言が実現したとマタイは、この個所を結んでいるのであります。
 この「ナザレ人」というのは、「ナザライオス」という言葉で意味がよく分からず、昔から研究が進められて来たところであります。
 マルコが記すように単なるナザレの出身の人のみを意味しているのか、あるいは、メシア的意味を有する士師記に出て来るサムソンがナジル人として救いの先駆者であったことが、背景にあるのか、あるいは、イザヤ書のエッサイの若枝からメシアが現れるという言葉に由来しているのか、さらには、そこには、イザヤの説く苦難の僕として、この子は、異邦人のガリラヤ、辺境に住んで、広く異邦人、全世界の人類の罪の贖い手として十字架を担うメシアであることを、既に暗示しているのかもしれません。
 このクリスマスの喜ばしい時に、私たちは、今日、無辜の多数の2歳以下の男の子たちが、主イエスの誕生の時に、暴君ヘロデ王によって大量殺戮されたことを知らされているのであります。ヘロデ大王はますます、神の思いからは離れて行きます。一方、父ヨセフは、夢で天使を通してお告げを受けて、エジプトに逃げ、また、同じように、夢で、その子の命を狙っていた者たちの死を知らされ、モーセを上回るさらなるモーセとして出エジプトを実現し、イスラエルの地へと入って来るのであります。ヘロデとは対照的に神のみ旨にどこまでも従順なヨセフの姿勢を知らされるのであります。
 今日の出来事、特に、無辜の幼い大勢の命が、御自分の誕生の時に、犠牲になったことを、イエスは、後に、母マリアから聞かされたのではないか。そして、彼らの不条理な死について、主イエスは生涯考え続けたのではないかと、亀井勝一郎氏は、その著作の中で記しています。
 喜び祝うべきクリスマスの時に、今日のヘロデ王によってもたらされた嬰児たちの多くの犠牲を私たちは考えなければならないでしょう。そのような犠牲の上に、私たち人類の覆いようもない罪の贖いと赦しが、み子の誕生によって、そして、その十字架の死によって与えられたことを、深く考えたいものであります。アーメン。


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2013/12/29(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)