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津田沼教会 牧師のメッセージ
「死後の逆転」(ルカ16:19-31)
ルカ福音書16:19-31、2013・09・29、聖霊降臨後第19主日(典礼色―緑―)、アモス書6:1-7、テモテへの手紙一6:2c-19

ルカによる福音書16:19-31
 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もしモーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」



説教「死後の逆転」(ルカ16:19-31)

生前、悪いものを受けた人が、死後、良いものを受け、逆に、生前良いものを受けた人が、死後、逆転して悪いものを受け取ることになるというエピソードは、当時のエジプトにも知られており、主イエスは、それを念頭に、この「金持ちとラザロ」の譬えを語られたのかもしれない。
貧しい人、ラザロは、その金持ちの門のところで、放り出されており、できれば、その金持ちの食卓から落ちる食物ででも、腹を満たしたかったが、それもならず、それどころか、多分、家の犬どもまでが、やって来て、そのただれたできものをなめていたという哀れな様でありました。
そして、やがて、寿命が尽きて、このラザロは死に、葬儀もなされなかったのかもしれませんが、天使たちによって、アブラハムの懐へと、運び去られたのであります。
一方で、紫の衣や、麻布を着て、ぜいたくに日々楽しんで、ラザロを顧みようともしなかったその金持ちの方も、死んで葬儀がなされ、ところが、気が付いてみると、陰府で炎のうちに、悶え苦しまされているのでありました。
そして、金持ちは、ずっと遠くに、アブラハムとその懐のラザロを見出し、叫ぶのであります。父アブラハムよ、私は、炎の中で悶え苦しんでいます。どうか、ラザロをよこして、その指の先に、水を付け、私の舌を冷やさせてくださいと。ところが、アブラハムは答えます。こちら側と、あなたたちの間には大きな淵、割れ目があり、こちらから、そちらへ行こうと思ってもだれも、それはできないし、あなた方の方からもこちらへやって来ることはできないと。
それで、金持ちは、ならば、私には、5人の兄弟がいるので、ラザロを送って、こんな苦しい目に遭わないように、言ってやらせてくださいと。すると、アブラハムは言います。あなた方には、モーセと預言者たちとがいる。彼らに聞くがよいと。金持ちは言います。いいえ、父アブラハムよ、もし、死人どものうちからだれかが、起き上がったならば、彼らは悔い改めるでしょうと。
アブラハムは言います。もし彼らが、モーセと預言者たちに聞かないなら、たとえ、死人たちから、だれかが、起き上がったとしても、彼らは納得させられはしないであろうと。
これは、主イエスの復活を暗示しているものであります。そして、この物語は、主として、金に執着するファリサイ派たちに向けて、主イエスがお語りになった譬えであります。
エルサレムに、ご自分の命を十字架につけるために、旅をしておられるその途上において、今日の譬えは語られているのであります。
旧約聖書は、ご自分のことについて書かれたものだと、主イエスは、おっしゃられるのでありますが、ファリサイ派の人々は、一向にそれに気が付かないのであります。
しかし、主イエスは、この死後の地位の逆転という譬えを指し示して、警告しながらも、ご自分の死と十字架において、通行不可能であった、陰府、死者の行かねばならない地下の国と天国の間に橋渡しとなられたのであります。
今日出て来る金持ちとはだれのことでしょうか。また、ラザロとは、だれのことを、主イエスは暗示しているのでしょうか。それは、いずれも、私たちのことを、示しているのではないでしょうか。
私たちは、ラザロに無関心な金持ちに似ていないでしょうか。しかし、また、一方では、私たちは、神さまの憐れみに寄り頼まざるを得ないラザロでもあるのではないでしょうか。ルカの描く主イエスは、この世の財貨を、施しなど憐れみのために、用いることを勧め、強く警告しています。自分のために、財貨を独占し、他者を顧みないのではなくて、それを、他者の幸福のためにも用いるべきものであることを、ファリサイ派の人にも、ご自分の弟子たちにも勧めておられるのであります。そのときには、死後の逆転させられる地位にあっても、主イエスが陰府と天国との架け橋となって、互いに行き来することが可能となるのであります。死後の逆転ということが、ありますが、にもかかわらず、私たちは、この世の財貨を正しく用いて、共どもに、天国へ行ける道を既に十字架につかれた主イエスによって、用意されているのであります。祈りましょう。

私たちの財貨を、他者への憐れみのために、用いることができますように。また、私たちは、常に神のみ前にあっては、神の言葉を求める、み言葉に飢えた乞食ラザロであることを覚えさせてください。キリストによって祈ります。アーメン。







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2013/09/29(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)