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津田沼教会 牧師のメッセージ
「神の支配にゆだねる」(マルコ10:17-31)
マルコ10:17-31、2012・10・21、聖霊降臨後第21主日(典礼色―緑―)、アモス書5:6-15、ヘブライ人への手紙3:1-6

マルコによる福音書10:17-31
 イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
 イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」




説教「神の支配にゆだねる」(マルコ10:17-31)

本日の福音、マルコ10:17-31は、弟子たちに対して、主イエスが、エルサレムに十字架にかかるために、向かいながら、教えを述べている一連の個所に続くものです。弟子たちは、主イエスとの、弟子としての最後の段階でも、主イエスの真意を悟らないでいます。主は、弟子たちに、外に対してはできる限り、寛大に、しかし、自分にたしてはとことん、厳しくあるように教え、また、先週は結婚と離婚について教え、また、子供が、主イエスご自身に向かって連れて来られるのを、妨げないようにと教えられました。
 本日の個所、マルコ10:17-31は、イエスが旅に出ようとしているときに、ある一人の人が駆け寄ってきて跪いて、質問するのです。永遠の命を受け継ぐためには、私は、何をすればよいのでしょうかと。
主イエスは、あなたは、古くからの教えを知っているはずだ。すなわち、殺すなかれ、姦淫するなかれ、盗むなかれ、他人について偽って証言するなかれ、あるいは、あなたの父母を敬えと。
この人は、そういうことなら、若い時から、守って来ましたと、答えます。主イエスは、その時、彼を愛しながら、見つめて言うのであります。あなたには、欠けていることが一つある。あなたの持ち物、財産を売り払って、貧しい人に施しなさい。そして、やって来なさい、私に従いなさいと。その人は、ショックを受けて、悲しみながら立ち去った、なぜなら、多くの財産を持っていたからであると聖書は記しています。
それから、弟子たちに、神の国に入ることは何と難しいことであろう。金持ちが、神の国にはいるよりは、らくだが、針の穴をくぐるほうがまだ易しいと言われたのであります。
当時は、多くの財産に恵まれているのは、神さまの祝福を受けているからだと考えられていました。旧約でもアブラハムが、多くの財産に恵まれ、長生きして生を全うしたことが、記されています。
しかし、主イエスは、富の危険について、警告を発しているのであります。富、財産は求めれば求めるほど、貪欲になって、限りがないという落とし穴があるのであります。
そのとき、弟子たちは、驚いて、それでは、だれが、神の国に入れるであろうかと問うていたのであります。
そして、ペトロが、弟子たちを代弁して、御覧ください、主よ、私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりましたというのです。
主イエスは、私のために、また、福音のために、父、母、畑、兄弟姉妹を捨てた者は、今この時、迫害と共に、それらの百倍を与えられるであろうと、お答えになり、更に、来るべき世においては、永遠の命を与えられると約束なさったのであります。
ペトロたちは、すべてを捨てて主イエスに従ったと言いますが、実際には、女弟子たちが、主イエスの一行を経済的に支援し、食事の世話などもしたと考えられます。
また、主イエスのエルサレムでの十字架の死のあと、ペトロたちは、ガリラヤ湖の故郷に戻り、漁をしたりしています。ペトロには、妻もいて、後に伝道旅行に伴なったりしています。
お金が不必要だと、主イエスは言っておられるのではありません。教会につながるにも、尊い献金が必要であります。この世の財貨の危険を覚えながら、神の支配にすべてをゆだねて、思い煩うことなく、教会生活に専念することが求められているのであります。
「フーテンの寅さんとイエス」という本が出版されたりしていますが、主イエスも、フーテンの寅さんのように、無一物で、時々、故郷に戻って来ながら、神の国の宣教に専念したのであります。今日出て来た金持ちの人は、神の国に入り、永遠の命を受け継ぐためには、その大きな財産を放棄することが必要でありました。私たちは、この世の財貨を、神の国の宣教のために、用いながら、それに執着しないことが求められているのであります。主イエスは、自分に、福音に従って来る者は、迫害を受けるが、それと共に、捨てたはずの母や、兄弟姉妹や、畑をこの今、この時において、百倍も受け、来るべき世においては永遠の命を受け継ぐと約束なさり、大勢の初めの者たちが、後の者たちになり、後の者たちが、初めの者になると、警告をも発しておられます。
長い信仰歴を持った人が必ずしも、先に神の国に入ると保証されているわけではなく、後から来た人で先に神の国に入る者も大勢いると、私たちが、日々、目覚めて、信仰生活を送ることが、主イエスによって求められているのであります。
弟子たちは、主イエスの十字架と、復活の後に、初めて、主イエスの本日の教えをも理解したことでありましょう。私たちも、力弱く、愚かな者ではありますが、主イエスの約束と戒めに従って、1週間、1週間を過ごしてまいりましょう。アーメン。
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2012/10/21(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)