津田沼教会 牧師のメッセージ
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「キリストのご正体」(マルコ6:45-52)
マルコ6:45-52、2012・08・26、聖霊降臨後第13主日(典礼色―緑―)、ゼファニア書3:18-20、エフェソの信徒への手紙4:1-16

マルコによる福音書6:45-52
 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。夕方になると、舟は湖の真ん中へ出ていたが、イエスだけは陸地におられた。ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。


説教「キリストのご正体」(マルコ6:45-52)
 先週は、五つのパンと二匹の魚で、5000人以上もの食べ物を、主イエスが供したという出来事でした。今日の福音はそれに続くマルコ6:45-52が与えられています。主イエスは、弟子たちを強いて、舟に乗らせ、向こう岸のベッサイダへと先に行かせます。一方で、主は、群衆を解散させ、彼らと別れて、ひとり、丘へと祈るために出発します。群衆が、主をメシアとして、担ぎあげるのを回避する目的もあったでしょう。
夕方となり、舟は、湖、ガリラヤ湖、海の真ん中に出ていましたが、逆風のためにこぎ進むことにおいて、彼らは悩まされていました。舟は海の真ん中にあり、彼一人が陸の上におりました。彼は、明け方の3時頃、それを見て、海の上を歩き回りながら、近づき、しかも、彼らを通り過ぎようとしていました。彼らの信仰を試すつもりだったのでしょうか。それとも、主は、神の力を示そうとしていたのでしょうか。旧約のヨブ記の9:8にも「神は自ら天を広げ、海の高波を踏み砕かれる」とあります。
しかし、それを見た彼ら弟子たちは、幽霊、亡霊、幻影だと思って金切り声を上げます。主はしかし、彼らに話しかけられ、言われました。「勇気を出しなさい。私である。恐れることをやめなさい」と。そして、舟にあがると風はやんだのです。
しかし、彼らの恐怖や悩み、心配もやんだとは書かれていません。マルコは、彼らはパンどものことを理解せず、彼らの心はかたくなに、そして、鈍くされていたからであると、結んでいます。
マルコの描く弟子たちは、理解に遅く、心が鈍い者たちとして、描かれています。私たちはどうでしょうか。私たちは、その後の主イエスが、受難に遭い、十字架で死に、その後、復活なさったことを知っています。しかし、私たち、主イエスがだれであるかを既に知っている者であっても、私たちも、困難に遭うと、絶望したり、勇気を失ったりするのではないでしょうか。
今年の夏休み、特に、お盆の時期、親子や兄弟、親族と親しく交わる機会がもてたことでしょう。私事ですが、私もまた、兄弟や母に会ってきました。日曜日には、母を連れて、ルーテル松山教会へと礼拝に行って来ました。普段は、なかなか、教会に行けず、しかし、最近は週に3回も、ビハーラという仏教系のデイ・サービスに生き甲斐のようにして楽しげに通っています。認知症も、少しずつ始まっている母は、キリストの信仰を持つのは、今後困難なのではないかとも、危惧していますが、イエス・キリスト様が一番だという認識を、精一杯、持続しています。
しかし、私よりもいずれも早く結婚している長男や妹たちは、これから、教会に通い、クリスチャンになるということは、至難の業、実際無理ではないかと悲観的になることもあります。しかし、私は、週報を送り続け、キリストへの信仰に導くために、精一杯祈っていこうと思っています。
また、私が前任地で洗礼を授けた主婦の方は、ご主人が認知症が進み、今後仏教のお墓のこともあるのか、キリスト教をやめようかと悩んでいると残暑見舞いに書いてよこされました。
しかし、主イエスは、いつも私たちのそばにおり、私たちの舟であるそれぞれの教会に荒れた海から上ってきて、「勇気を出せ、私である。恐れることをやめよ」と言葉をかけてくださるお方です。キリストのご正体は、私たちの苦難のときに、いつもそばにいて、勇気付けてくださる方であります。日曜日ごとに、絶望していても、励まされ、力強くこの世の大海へと送り出してくださるお方なのです。安心して歩みましょう。




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2012/08/26(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
「五つのパンと二匹の魚から」(マルコ6:30-44)宇野正徳牧師
マルコ6:30-44、2012・08・19、聖霊降臨後第12主日(典礼色―緑―)、エレミヤ書23:11-22、エフェソの信徒への手紙2:11-22

マルコによる福音書6:30-44
 さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにとお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡して配らせ、二匹の魚も皆に分配させた。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と残りの魚を集めると、十二の籠にいっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人であった。



説教「五つのパンと二匹の魚から」(マルコ6:30~44)宇野正徳牧師

1. はじめに
今日の福音書には、イエスが、「五つのパンと二匹の魚」を5000人以上の人々に分け与え、「すべての人が食べて満腹した」という記事が載っています。どうしてそのようなことが起こったのか、わたしたちの理解を超えていますが、理解を超えているだけに、この出来事がわたしたちに問いかけていることは何かをご一緒に考えてみたいと思います。
まず、この出来事を目にしたとき、「マナの記事」(出エジプト記16章参照)を思い出しました。
イスラエルが隷属していたエジプトから解放され、新天地に向かっているとき、イスラエル人は食べ物や飲み水に事欠くようになり、その飢え渇きに人々は耐えられなくなり、モーセに迫ります。「われわれをいつまでこのままにしておくのか。このようなことになるならエジプトで死んだ方がましだった」と。その訴えにモーセはどうすることもできずに苦悩します。苦悩するモーセに神は応えます。「わたしは、イスラエル人のために天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日、必要な分だけ集める。彼らがわたしの指示する通りにするかどうか試す」と。神は、民の窮乏を救うと約束されたのです。
夕方になると、うずらが飛んできて宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りました。その露が渇くとそこに薄くてやわらかいパンのようなもの(マナ)が地表を覆ったのです。モーセは「これこそ主があなたたちに食物として与えたパンである」と言い、人々にそのパンを食することができたのです。
その時、不思議なことに、「多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことはなく、それぞれが必要な分を集めた」とあり、誰もが公平にパンを食べることが出来たのです。ともすると人間が窮乏しているときは、理性が働かず欲望に負けて、バランスが崩れ、食糧を独り占めし、隠匿する者も出てくるのですが、この時は、そういうことは起こらなかったのです。「多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことはない。それぞれが必要な分を集めた」通りです。
「貧しきを憂えず、等しからざるを憂える」との言葉があります。人は貧しいことには我慢できるが、不平等な扱い、差別的な扱いには我慢ができないということ、人は誰しも不平等、不公平な社会は望みません。バランスのとれた公平な社会を望むものです。

わたしの小さな体験ですが、今から67年前、小学生の時に学童疎開(集団疎開)の経験をしました。戦況が日に日に悪化し、空襲も連日のようにあり、わたしが住んでいた東京もますます危険な状況になったのです。昭和20年3月10日、東京は大空襲を受け、本所・深川方面は大量の爆弾、焼夷弾がおとされて大炎上し、多数の犠牲者(約10万人)を出しました。わたしが住む下町もやがてはそうした攻撃を受けるだろうとの観測で、小学生以下の子どもたちは危険を避けるために疎開することになったのです。行った先は、埼玉県と群馬県の県境にある小さな村でした。
小学3年になったわたしたちは、親元を離れ疎開地での共同生活を送るようになったのです。疎開先でもご多聞にもれずに食糧難で三度三度の食事も決して十分でなく、お芋やカボチャなどが混ざったご飯やおかゆをすすって食べましたが、食べ盛りのわたしたちには、十分でなく、いつもお腹をすかせていました。しかし、誰もそのことで泣き事を言う者はいませんでした。少ない食べ物であっても皆が同じ物を食べているという一体感、連帯感があったからだと思います。もしそこに不公平なことがあれば(たとえば、腕力の強い者が弱い者を押さえつけ、物資を横取りするというようなこと)、そういうことはなかったのです。

2.5000人を前にして
 改めて今日の福音書を振り返ってみたいと思います。
 今日の福音書は、弟子たちが福音宣教の働きのためにガリラヤ地方に散って活動をし、その働きを終えてイエスのもとに帰ってきてその働きの一部始終を報告したことから始まっています。
 弟子たちは、はじめて経験する宣教活動に大きな喜びと使命を感じたに違いありません。「出入りする人たちが大勢であったので食事をする暇もなかった」とあるように大成功だったのです。イエスはその報告を聞いた後に、宣教の疲れをいやすために弟子たちに休むように命じ、彼らは人里離れた所へ向かったのです。日本でしたら、さしずめひなびた温泉地とでも言いましょうか。
 ところが弟子たちが避暑地に向かった時、群衆が弟子たちの行く行き先を先回りしそこで彼らを待ち受けていたのです。どうして群衆が弟子たちの行く先を知ったのか。多分、狭いガリラヤ地方ですから避暑と言えば、誰もが行く所を知っていたのでしょう。群衆は、それを想定し、先回りして弟子たちを待ったのです。
 しかし、すでに休みのモード(リラックスタイム)に入っていた弟子たちは、追ってきた群衆に、これ以上、自分たちを煩わせることは止めてくれと思ったに違いないのです。誰でも休みを妨害されることは気分的には面白くないからです。
 その時、イエスは集まっている人たちを見て、人々をそのままそこに放ってはおくわけにはいかないと憐れまれたのです。「イエスは大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を見て深く憐れみ、いろいろと教えられた」(34節)とあります。この迷える人たちをどのようにして落ち着かせるか。イエスはまず説教を通して神の恵みを語ったのです。「心の貧しい人は幸いである・・・悲しんでいる人たちは幸いである・・」と。
そうこうするうちに日が暮れてきました。イエスの様子を傍らで見ていた弟子たちは、イエスが時を忘れてあまりに熱心にみ言葉を解き明かすために、暗くなる前に群衆を早くに解散させるようにと勧めました。「ここは人里離れたところでもあり、もう時間もたちました。人々を解散させてください」(6:35)と。
しかし、イエスは、そのまま話を続け、弟子たちには、「あなたがたが、彼らに食べるものを与えなさい」と逆に弟子たちに指示したのです。弟子たちは、浮かぬ顔です。先生は、なぜ、わたしたちに彼らのために何か食べるものを用意しなさいと言うのか、わたしたちは、休み中ですよ。
そこで弟子たちはイエスに、こんな言い訳をしました。
「ここは人里離れた所で、時間もだいぶ経ちました」。
「わたしたちが二百デナリオンものパンを買ってきて、みなに食べさせるのですか」。
「めいめいすこしずつ食べるためにも二百デナリオンのパンでは足りないでしょう」(ヨハネ6:6)
「ここは人里離れた所で、時間も経っているし、パンはもはや手に入らない」。食べ物の用意は、もはや自分たちの手ではできないとつぶやいたのです。
そのつぶやきを聞いてイエスは、彼らに簡単なことを申し付けました。「今、ここにパンはいくつあるか、それを探してきなさい」と。弟子たちは不承不承の思いで探しに行きました。
弟子たちが探し回った結果、「五つのパンと二匹の魚」を見つけ出したのです。しかし、内心、これだけのものが何の役に立つのか、大の大人が手分けして探し出したものが、この程度のもの。自慢できる報告ではありませんでした。ヨハネ福音書には「こんなものが何の役に立つのだろうか」(ヨハネ6:9)とはっきり書いてあります。「五つのパンと二匹の魚」が、数千人の人たちの空腹を満たすとは誰も考えられないことです。
しかし、イエスは、弟子たちが「こんなものが何の役に立つか」と言った「五つのパンと二匹の魚」が、数千人の人たちの空腹を満たすとは誰も考えられないことです。
しかし、イエスは、弟子たちが「こんなものが何の役に立つか」と言った「五つのパンと二匹の魚」を取り上げ、天を仰いで讃美の祈りをささげそれらを祝福し、ここに集まる人たちに、いのちのパン、生けるパンとして配ったのです。その結果、「すべての人が食べて満腹した」のです。何と言うことでしょうか。奇跡が起こったのです。
弟子たちはこの事実を見て、どう思ったでしょうか。何と馬鹿なことを言っていただろうか。イエスさまへの信頼をまったく欠いていたことを恥じ入ったのです。
教会でも私たちはよく自分の力量、教会の力量からしても、それらが宣教のために何の役に立つだろうかと思うことがあります。あまりに小さく、非力だからです。しかし、それが「役に立つか」どうかは、わたしたちが決めることではなく、神さまが決めてくださることです。

イエスが「五つのパンと二匹の魚」を取り上げ、天を仰いで讃美の祈りをささげ祝福されたこと、これは教会でもよく見られる祝福聖別の祈りの原型です。
建ったばかりの教会の献堂式:礼拝堂の聖具、聖書、十字架、聖卓、聖餐用具、説教台のすべてを祝福聖別する。新任牧師の按手式、牧師就任式、教会役員の就任式、奉仕者の就任式に見る祝福聖別式。すべてを神の御手に預け、祝福を受け、神のご用のために役立てるように祈るのです。イエスが「五つのパンと二匹の魚」を祝福したことに通じます。

2. イエスの視点
5000人の人々に向き合う姿勢が、イエスと弟子たちとが異なります。
イエスは救いを求めてやって来る人々に目を向けています。「イエスは大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を見て深く憐れみ、いろいろと教えられた」(34節)とあるようにです。人々が何を求めているのか、何を望んでいるのか、人生のさまざまな状況に直面しながら生きる人々に目を注いでいます。
 それに対して弟子たちは、救いを求めてくる人々に目を向けるのではなく、自分たちの都合とか、事情とか、周囲の状況、条件に照らして奉仕の可否を決めます。大切なことは、人と向き合うことです。

 昨年の春、東日本地方を襲った大震災は、多くの人の命、愛する人の命や住む家、生活の座を奪いました。その震災は日本人のみならずこころをいため世界中の人々の心を痛め、悲しみを与えました。どうしてそのようなことが起こったのか、いまだにその苦悩はいえていません。そのことを通して人生に生きる意味とは何かを突き付けられた思いがいたします。そのようなとき、人生に生きる意味や希望を与えるものは何かというとき・・ヴィクートル・フランクルの著書「夜と霧」が見直されています。
   フランクルは、オーストリアの精神科医でしたが、ユダヤ人であるが故にナチスドイツの迫害に遭い、アウシュヴィッツ収容所をはじめいくつかの強制収容所での過酷な収容生活を送り、九死に一生を得て生還したのですが、その時、すでに愛する妻も両親も強制収容所で亡くなっていました。そうした苦悩や苦痛を背負いつつ自らの経験と体験を基に書いたのが「夜と霧」です。
 そこにこんな一節があります。
 『どんな時も、人生には、意味がある。
  なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
  この人生のどこかに、あなたを必要とする「何か」がある。
  あなたを必要とする「誰か」がいる。
   そしてその「何か」や「誰か」は、あなたに発見され実現されるのを「待って」いる。
わたしたちは、つねにこの「何か」、「誰か」によって必要とされ「待たれている」存在なのだ。』
実は、これはイエスさまが人々に向き合う姿勢でもあります。
2012/08/19(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
「キリストに遣わされている私たち」(マルコ6:6b-13)
マルコ6:6b-13、2012・08・12、聖霊降臨後第11主日(典礼色―緑―)、アモス書7:10-15、エフェソの信徒への手紙1:3-14

マルコによる福音書6:6b-13
 それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまでは、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出て行くとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落しなさい。」十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。










説教「キリストに遣わされている私たち」(マルコ6:6b-13)
 

私たちは、本日、マルコによる福音書6:6b-13を福音として、与えられています。皆さん、ご承知のように、私たちは、3年サイクルで、福音書を、マタイ、マルコ、ルカ福音書、これを共観福音書と言いますが、その順番で、A年、B年、C年として、決められた個所を読んでいきます。ヨハネ福音書は、1年の教会暦の中で、復活後主日などに時折読まれます。
私は、牧師になって、19年目を歩んでいますので、ここの個所、マルコ6:6b-13で、恐らく6回は説教していることになります。しかし、不思議なもので、何回説教しても、汲めども汲みつくすことのできない福音の豊かさを、その度に味合わされています。
 さて、今日の個所は、故郷ナザレでの伝道の失敗の後に続いていますが、私たちの新共同訳聖書は、マルコ6:6b(後段)から、13節までを、主イエスのなさった12弟子への宣教命令として、区分しています。もしかしたら、ナザレでの宣教の失敗が原因で、会堂での宣教が、難しくなったので、周りの村々へと、教えながら、主は、歩き回っておられたと続いているとも、考えられます。その場合には、6:7から、宣教命令のセクションが始まると考えられますが、ナザレでの宣教の失敗から、主イエスが急に他の方法に転じたとは、どうも、考えられないのであります。
ここは、私たちの本日の聖書日課が、6:6b-13としていることからも窺えるように、マルコが、故郷ナザレでの宣教の出来事の後に、ここにマルコ福音書記者が編集し直したのだと考えるほうがすっきりするようであります。また、マルコ6:14以下には、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスが、主イエスのうわさを聞いて、洗礼者ヨハネが生まれ変わって出て来たのだと恐れる記事が続いていますが、歴史的には、そのようなエピソードは、もっと後の出来事であるように思われます。
 また、最初の3つの福音書は共観福音書と言われますように、本日の共通の出来事は、マタイにも、ルカにも出てきます。
私たちは、現在では、マルコ福音書が一番古い共観福音書だと一般的に考えていますが、本日の記事についても、ルカ福音書の並行個所、ルカ9:1-6がよりオリジナルではないかという説もあります。ルカでは、12弟子の派遣のみでなく、ルカ10:1-16では、他に、72人を派遣したというより詳しい記事もあります。
 しかし、私は、本日の出来事についても、マルコが、オリジナルであり、それを、下敷きにして、Q(資料という意味)という資料をも、取り入れて、マタイや、ルカがそれぞれの伝承をも、プラスして、それぞれの共通記事が出来上がっていると見ても、支障はないと思います。
  さて、本日の、記事を、今一度、思い起こしてみましょう。主は、村々をあちこちと、教えながら、歩き回っておられました。そして、12人を呼び寄せ、二人ずつ組にして、汚れた霊どもへの権威を与えながら、遣わします。これは、アポステッローという言葉で、ペンポーという普通に送り出すというニュアンスの言葉よりも、主イエスの代理人として、あるいは全権として派遣するというもっと強い意味の言葉が使われています。そして、彼らに命じます。杖のほかには、パンも、袋、布施を乞う袋も、帯の中に銅貨も持たず、ただ、履物ははいて、しかし、「あなた方は2枚の下着は着ないように」と命じられます。人の子がまもなく、再来するという切迫した危急の宣教であったからです。この世の財貨やそれぞれの人格などに頼るのではなく、神の国を、神の支配を告げなければならないので、神から、そして、キリストから信頼を受けて、できる限り軽装で不必要なものを持たないで、出て行くように主イエスによって命じられて出て行くのです。
 さらに、主は、どこでも、ある場所に入ったら、その家にその地方から出て行くときまで、とどまりなさいと言われ、もし、その場所があなた方を歓迎せず、彼らがあなた方に耳を傾けないなら、そこから出て行くときに、彼らへの証しへと、すなわち、警告として足の下の塵を払い落としなさいと言われます。当時のユダヤ人たちは、異教の国からイスラエルに帰って来たときには、汚れを清めるために足の裏の埃を払い落としたと言われています。
更に、弟子たちはより快適な安楽な家へとむやみに動き回ってはならないと言われます。そして、彼らは出て行って、人々が悔い改めるように、宣教し、説教した。そして、多くの悪霊を追い出していた。そして、多くの病人にオリーブ油をぬっていた。そして、彼らは癒していたと、本日の記事は終わっています。宣教の内容は、彼らが悔い改めるようにという洗礼者ヨハネもした説教以外のことは具体的には書かれていません。オリーブ油を病人に塗るということも、新約聖書ではルカ福音書の良いサマリア人の譬えとヤコブ書の記事と本日の記事の3個所しか出て来ません。それは、当時のマルコの教会、共同体の慣習であったのでしょう。
 さて、私たちもまた、今日、本日の主イエスの宣教の言葉をゆだねられています。塗油による病人の癒しや、多くの悪霊追い出しは、それに伴うしるしに過ぎません。確かに悪霊追い出しや、病人の癒しは、現代の私たちにとっても、大きな喜びであり、慰めでありますが、み言葉を宣教することは、それ以上に慰めと救いをもたらすのです。
 主イエスの言葉、そして、神の言葉を語ること、み言葉の宣教が12使徒たちに、託されたより重要な使命でありました。
本日の主の宣教命令は、2000年経った現代の私たちにも求められており、また、永遠に有効であり、それは、私たちの才能や、創意性に基づくものではなく、神の力に、そしてイエスの力に頼ることが求められています。
パウロが語っているように、私たちが弱い時に、かえって、私たちを通して、主の力が働くのであり、私たちは、それぞれが、土の器に得難い宝を与えられているのであります。
現代は、主イエスの時代や環境に比べる時、物や資源が氾濫している時代であります。それだけ、物質的なものや、科学技術などに依存しがちな時代を、私たちは生きています。
しかし、主が12弟子たちに言われたように、必要最低限なもの以外は持たずに、み言葉にのみ、信頼して、主イエスの言葉、神のみ言葉、聖書にのみ、信頼して歩むことが、以前にも増して必要な時代になっているのではないでしょうか。
マザー・テレサや、ガンジー、あるいは、田中正造は、亡くなったとき、必要最小限のほんのわずかなものしか持っていなかったと言われています。
主イエスが人の子として、まもなく再来すると信じて、マルコの教会の人々は、派遣された場所で、他の人々に、悔い改めを説教したのでありましょう。私たちも、経験不足や能力の貧しさを口実として、宣教に億劫になるのではなく、特にこのお盆の時期、家族や友人に、小さなキリストとして、神の国の到来、神の支配を、言葉や振る舞いによって、また、生活そのものを通して、証しする者とされたいものであります。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
2012/08/12(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
「まことの平和」(ミカ4:1-5)
ヨハネ15:9-12、2012・08・05、平和の主日(典礼色―赤―聖餐式)、ミカ書4:1-5、エフェソの信徒への手紙2:13-18

ミカ書4:1-5
 終わりの日に
 主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち
 どの峰よりも高くそびえる。
 もろもろの民は大河のようにそこに向かい
 多くの国々が来て言う。
 「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
 主はわたしたちに道を示される。
 わたしたちはその道を歩もう」と。
 主の教えはシオンから
 御言葉はエルサレムから出る。
 主は多くの民の争いを裁き
 はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。
 彼らは剣を打ち直して鋤とし
 槍を打ち直して鎌とする。
 国は国に向かって剣を上げず
 もはや戦うことを学ばない。

 人はそれぞれ自分のぶどうの木の下
 いちじくの木の下に座り
 脅かすものは何もないと
 万軍の主の口が語られた。
 どの民もおのおの、自分の神によって歩む。
 我々は、とこしえに
 我らの神、主の御名によって歩む。




説教「まことの平和」(ミカ4:1~5)

今年も平和を覚える主日が訪れました。JELCでは、毎年8月の始めの日曜日を平和の主日として守っています。今朝も、また、ミカ書4:1-5から聞きたいと思います。この個所は、イザヤ書の2:2-4と酷似しています。どちらが、古いのか、あるいは、どちらかがコピーしたのか、と一見して、疑問に思いますが、どちらも、あるオリジナルな口頭伝承を引いたものだと考えられており、ミカ書について言えば、ミカ書の3章までとは打って変わったみ言葉であり、ミカが活躍したヒゼキヤ王の時代に至るものではなく、バビロン捕囚後の伝承であると一般的に考えられています。
直訳しますと、こういうことが起こる、終わりの日々に、主の家の山が、山々の頭として堅く立てられ、それはどの丘よりも上げられ、それの上に民どもが、流れてくる、と始まっています。
主の山とは、シオンの丘のことであります。シオンの丘とは、エルサレムの中にあり、オリーブ山よりも低いのであります。しかし、それが、どの山よりも、ヤハウェによって高く上げられる時が来るというのであります。しかし、私たちは、まだ、そのような時を見ていないのであります。
多くの民は、さあ、ヤコブの神の家に登ろう、そして、彼の道を彼ヤハウェは示すだろう、私たちは、その彼の旅路においてやって行こうというのであります。なぜなら、シオンから主の教えは出てくる、エルサレムから、主の言葉は出てくるからというのであります。主の教えの教えというのは、トーラーという言葉でありますが、ここでは、律法とかモーセ五書を指しているのではなく、主が教えてくれる具体的指針といった意味であります。
そして、彼らは、すなわち、もろもろの民は、その剣どもを打ち直して鋤とし、その槍どもを鎌として、武器を農機具に変えようというのであります。そして、民は民に向かって剣を上げず、彼らはもう戦いを学ばないというのであります。昔、ベトナム戦争の時に、川に墜落したアメリカ軍の飛行機を、北ベトナムの庶民は、ヤカンや鍋等に使ったというエピソードが伝えられていますが、この聖句を彷彿とさせるニュースであります。
そして、農夫は、安心してぶどうの木の下に座り、また、いちじくの木の下に座り、彼らを脅かすものは何もないというのであります。そして、なぜなら、あるいは、すなわち、万軍の主の口が、これを語ったからだというのであります。
そして、最後に、なぜなら、すべての民どもは、彼の神々の名において歩む。しかし、私たちは、私たちの主なる神ヤハウェの名において歩むからであるというのであります。 
私たちは、あるいは、ユダヤ人たちは、このように、諸国の民がシオンの丘へと巡礼の旅へと、流れ出てくることをいまだに、見ていません。しかし、終わりの時には、こうなるとミカ書は確信してこの預言を残しているのであります。
この旧約聖書において最も有名な一節を本日は与えられています。旧約聖書のこの預言の言葉に、全世界が、耳を傾けるときは来るのでありましょうか。私たちは、戦後67年目の敗戦の日を、この厳粛なミカの預言に耳を澄ますことによって、家庭の争いから、民族間の紛争までが、根底から覆され、不安定と悩みから克服される日が、個人にとっても、国家にとっても、到来する日のことを、覚えて、平和への誓いを新たにして確信して進みましょう。アーメン。

2012/08/05(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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