津田沼教会 牧師のメッセージ
「神の子の洗礼」(マタイ3:13〜17)
マタイ3:13-17、2008・01・13、主の洗礼日(典礼色―白―)
イザヤ書42:1-7、使徒言行録10:34-38

マタイによる福音書3:13〜17
 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。



説教「神の子の洗礼」(マタイ3:13〜17)

本日は顕現節の第2主日でありますが、それを特に、本日は主の洗礼日として、祝うのであります。教会暦の用いる色は、先週に引き続いて、神を表す白であります。
本日の福音、マタイ3:13-17から、しばらくご一緒に考えてみましょう。
 洗礼者ヨハネが悔い改めの洗礼を授け、悔い改めの説教をしておりましたころ、そのとき、主イエスは、ガリラヤからヨルダン川のヨハネに向かってやって来ます。それは、彼によって洗礼を受けるためでありました。
他の福音書とは違って、マタイでは、洗礼者ヨハネは、主イエスが洗礼を受けようとなさるのを何とか避けようとして主に、「あなたが私から洗礼をお受けになるのですか。私こそあなたから洗礼を受ける必要を持っていますのに。あなたが私のほうへとやって来られるのですか」と言って、止めさせようとします。
それに対して、主は「今はこのままにさせてほしい。すべての正しいこと、義が満たされるのは私たちにとってふさわしいことだから」と答え、彼にそのまま洗礼を受けさせたと書かれています。旧約聖書の中にあるあらゆる神の法令を成就することが私たちにはふさわしいからだと言われるのです。洗礼を受けるというのは、神の義にかなっているのです。そして、罪なきお方イエスが私たちと同じ罪ある人間の罪の深みにまで下りてこられ、主もご自分のほうから、洗礼を受けると言われるのであります。
 主は、水から直ちに上って来られると、見よ、神の霊が鳩のように、くだってくるのを、そして自分の方へとやって来るのを御覧になります。鳩は、詩編の中に、イスラエルの民を表すものとして表現されています。新しいイスラエルの民が、主イエスご自身の洗礼において誕生するのであります。新しく教会が生まれることが予表されているのであります。そして、見よ、幾層もの天が開かれ、声が聞こえます。「これは、私の息子、愛する者、この者を私は大いに喜んでいる。」
 この天からの声は、天地創造のときに、創世記の初めに書かれているように、霊が地の面をただよっていたというときにも聞かれたと伝えられています。「声の娘」、あるいは、「娘の声」とも言われる声がこだまするように聞かれたのであります。
マタイによれば、神の声が天から、マルコよりも、より客観的に、「これは、私の息子、愛する者、この者を私は大いに喜ぶ」と聞かれたのであります。これは、詩編の2:7の言葉と、イザヤ書42:1の言葉を一緒にしたものであります。詩編2編はメシアの即位に関わる詩編とされており、その7節は、「お前は私の子、今日私はお前を生んだ」とあり、主イエスが神の子であり、またメシア王であることが啓示されたのであります。
一方、イザヤ書の42編1節は、「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎えるものを。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。」とあります。主の僕とは、もともとは、イスラエルの民をさしている言葉と見ることができます。しかし、それは、十字架につけられる苦難の僕としてお出でになるイエスを指していると取ることもできます。この方は、決して傷ついた葦を折ることなく、消えかかっている灯心を消すこともない方であります。弱い私たちを見捨てられることはなさらない、そのような救い主としてお出でになられたことが示されているのであります。
このように、主の洗礼の時のこれらの天からの言葉は、主イエスが、メシア王として、神の子であり、かつ愛される独り子であり、さらにそれは苦難のしもべ、受難のキリストであることを示しています。
神の子が洗礼をお受けになり、その時にこれらの言葉が聞かれました。山上での変貌の時にも同じ言葉が聞かれます。私たちは、本日の特祷にもありましたように、新しいイスラエルの民として、すべての神の法令を満たした方主イエスと同じ洗礼を受けている者として、それぞれ皆、多くの不安や困難を抱えていますが、本日の洗礼を受けられた主イエスに従って、一年の歩みを支えられながら進んでいきたいと思います。アーメン。

望みの神が信仰から来るあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。



2008/01/13(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)