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津田沼教会 牧師のメッセージ
「神の忍耐ー悔い改めへの新しい一年をー」(ルカ13:6~9)
ルカ13:6-9、2008・01・01、新年礼拝(典礼色―赤―聖餐式)
エレミヤ書24:1-7、ペトロの手紙一1:22-25

ルカによる福音書13:6~9
 そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」


説教「神の忍耐―悔い改めへの新いい年をー」(ルカ13:6-9)

2008年の新しい年を迎えました。本日は、主の命名日でもありますが、新年礼拝として、ルカ13:6-9の福音を選ばせていただきました。この個所が、どうして、新年を迎えるに当たって選ばれているのか、しばらくご一緒に考えてみたいと思います。
ルカ13:1-9が一つのまとまりの部分として、日課として選ばれるのが普通であります。時のしるしを見分けよ、そして、敵と訴訟の途上にある者は、速やかにその敵対者と和解するが良いといった勧めを13章のすぐ前では、主イエスはなさっているのであります。
そして、それに続けて、二つの出来事が主イエスに知らされます。それは、エルサレムで、ガリラヤ人の血をいけにえの血とピラトが混ぜた、すなわち故意に虐殺したという知らせであり、また同じく、エルサレムで不慮の事故により、シロアムの塔が倒れて、18人の者が犠牲となったことを、主は取り上げて、あなたがたは、彼らがより罪深かったために、そんな目にあったと思うのか。言っておくが、あなた方も悔い改めなければ、同じように滅びると繰り返されたのであります。
それに続けて、本日の個所となるのであります。で、彼は、まさにこの譬えを語っておられた、と本日の部分は始まっています。すなわち、そのいちじくの木を、植えられたその木を、ある人がそのぶどう園において持っていた。彼は、それにおいて実を見出そうとやって来たが、見出さなかったのであります。彼は、そのぶどう園の園丁に言います。見よ、私は3年の間、それにおいて実を探しにやって来たがそれを見出さなかった。なにゆえに、それはまた、その地を浪費しているのか、その地を消耗させ、あるいは無駄にさせているのか。それをあなたは、伐採せよと言ったのであります。それに答えて、園丁は語るのであります。この園丁である方、すなわちこの譬えを語っておられる主イエスご自身が、現在もなお主なる神に向かって、同じようにとりなしの言葉を語っておられるのであります。すなわち、御主人、あるいは主よ、この年もそれをそのままにしておいてください。私がその周りを掘り起こして、堆肥を投じてみましょうから、と。そして、一方、それが実を結べば結構なことです。さもなければ、あなたが、それを伐採するでしょう、と。イエスご自身が伐採しましょうとは言われず、父なる神よ、あなたが伐採してくださいと言うのであります。
さて、このいちじくの木は、本来は、ぶどうの木やオリーブの木と同じく、ユダヤ国民を表しているものでしょう。しかし、私たち、裁きの前に立つすべての人間、罪ある人間一般を指していると考えることが出来るでしょう。よく考えるならば、故意に他人によって虐殺されたガリラヤ人や不慮の事故で命を落としたエルサレム人に比べて、このいちじくの木は、3年もの間、土地をふさいで不毛であり、非生産的であり、悔い改めの実を結ぶことを先延ばししている怠惰な者であり、より有罪な者を表しているとも考えられます。
しかし、この園丁、すなわち、主イエスは、この不毛のいちじくの木の原因を調べ、擁護し、肥やしをやってみますので、もう一年待ってくださいと主人である神の前に弁護士のように今もとりなしてくださっているのであります。そして、主人である神は、辛抱強く、憐れみ深く、園丁の言葉を受け入れて、私たちが生活を改革し、主イエスの言葉に従って新たな歩みをするのを待っていて下さるのであります。父なる神は忍耐して、私たちが実を結ぶことを待ってくださっています。しかし、悔い改めの実を結ばない者は、洗礼者ヨハネが宣言したように既にその斧がその木の下に置かれているのであります。
 私たちは、このような中で、自分の持っている弱さや改善点や課題をよく知っている者であります。
この一年を、主イエスの仲立ちによりながら、心から悔い改めて、生活においてそれに相応しい実を結ぶ一人一人でありたいと願うものであります。祈りましょう。
天の父なる神さま。
過ぐる一年をあなたの憐れみのうちに、無事過ごせましたことを感謝いたします。新しいこの年も、いつ、私たちの地上の命が取り上げられるか、私たちは何も知りませんが、この地上に与えられている命をあなたの御用のために用い、罪から解かれて、悔い改めにふさわしい実を結ぶことが出来ますように。み子は、私たちを擁護し、私たちの生活がみ心に沿うものに変えられるように今年も、あなたの前でとりなしていてくださいます。どうか、この一年の津田沼教会に連なるお一人お一人の歩みが祝福され、豊かに実を結ぶ者となりますように。み子、キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

私たちの内に働く御力によって、私たちが求めたり、思ったりするすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。




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2008/01/01(火) 11:00:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)